ビブラートがかけられない

映画が好きです

女性の自由意志とセクシーについて

自由で自分らしい服装とはなんだろうか。

人によっては好きな映画のTシャツを着ることかもしれないし、ゴスな衣装に身を包むことやkawaiiを体現すること、セクシーな服を着ること、ビシッとスーツでキメること、自作のケモノ着ぐるみに身を包むことかもかもしれない。

 

けれどもメディアに出てくる『女性が自分らしい服装をする』はやたらとセクシーな場合が多いと思います。一時期のVOGUでビリー・アイリッシュ達がやたらとセクシーな服を身にまとい、これが自分のしたい格好なのだと言っているのを見かけました。自分がファッションに疎いのもありますが、『女性が自分らしい服装をする』でゴスがでてくることってあまりないと思います。もちろん映画Tシャツで出てくるのも見たことがないです。それもまた多様性の中の一つであるはずなのに。

 

いろんな女性がいる中で、セクシーなものを好む人もいるというのは当たり前のことだと思いますが、女性が望むことといえばセクシーな装いとなっているのはなんだか不気味です。セクシーなものは批判されやすいからわざわざ取り上げる必要があるのだ、という話も聞いたことがありますが、最近好きな映画Tシャツを着てSNSに写真を挙げた女性に対するひどい揶揄がありましたし、結局のところ女性は何を着ても同性からも異性からも攻撃されます。肌を出せばけしからん、肌を出さなければ女なのにもったいないといわれるものです。エンパワメントはどんな装いを好む人にも必要です。

また、女性の解放、自由というならどんどんセクシーな装いをしないと!のようなことをフェミニズムに親和的な人も言うことがあるので微妙に思ってしまいます。

家庭から、女の子らしく肌を見せていかないと!と圧力をかけられてきた人にとっては上記は自由とはかけ離れたものになるでしょうし。

 

とにかく、世の中にはいろんな女性がいて色んなものを好んで、色んな自分らしさがあるはずなのに、自由という名目で新たな型にはめようという風潮があるように思えて気持ちの悪い日々を過ごしています。